
↑これって嬉しい夢なのか?
こんにちは。寒いの嫌い、ゆき2です。
前回はかなりマニアック過ぎたので
今回は身近な話題から…。
いろんな方面から攻めたので長くなりました。えへ。
ケース1 <はるこさん 中2>違うクラスの愛は最近バスケット部に入ってきたんだけど
経験がないのにすごく動きがいいんだ。
技術的にはまだまだだと思うんだけど、上達が早くて・・・。
いつかレギュラーの座を奪われそうで不安・・・。
ケース2 <ひこまろくん 中1>同じクラスのタロウは、お互いに同じ部活で塾に行ってないのに
英語のテストの結果は決まってあいつの方がいいんだよね。
密かに勉強してる様子もないんだけど・・・。
ふむふむ。
学生には学生なりの悩みがあるんですね。
と言っても今回は悩み相談をしようってわけではありません。
でもこういう人っていましたよね。
同じ条件のはずなのに、明らかにデキるヤツ。
どらえもんのできすぎ君状態でしょうか。
モノにはセンスっていうものがあると思います。
それは何も服とか運動、勉強に限ったことではなく
どん底が二人の柱で成り立っているように
柱なら柱なりのセンスが必要なんですね。
でもその柱はみんながデキるわけではないんです。
人間ですから。
人としての基本的な部分はみんな同じハズなんですが
遺伝はもちろん、国や環境や性別、生まれた年代なんかによって
人の個性が作られていくものなんですよね。
その中でいろいろな方面にセンスがある・ないがあって当然なんです。
日本語学校での出来事。
新しく学校に入る生徒には、必ずテストをしてもらいます。
その結果によって今の時点でどれくらいのレベルなのか
おおよその見当をつけるんですね。
最近入学したネパール人の生徒に50音表を書いてもらいました。
そのプリントにはマスが書いてあって、
最初の一行に”あいうえお”だけが書いてあります。
当然次の行は”かきくけこ”になるはずですよね。
何度も言いますけど、あくまでレベルチェックですから
その人が50音表が書けるかのチェックなんですよ!
ネパールの生徒は”あいうえお、あいうえお、あいうえお・・・”
全部書いたんですねぇ。ただの練習かと思ったんでしょうか。
何をすればいいのかが分かってないんですね。
2年に1人くらいはいるそうです。そういう人が。
後で改めて説明し、もう一度書いてもらうと
多少の間違いはあっても、全て書けたらしいです。
だから50音自体は知ってるんですね。
彼に足りなかったのは、問題の意図をつかむ能力なんですね。
問題慣れしていないんです。
例えば、”該当
しないものに○”という問題なんか
私たちでも見落としがちですけど
そういう問題もあり得る、という知識は持っていると思います。
でもそれって最初から”あり得るかも”と
思っていたわけではないですよね。
問題をこなしていく段階でそういう問題が出てきた
→あぁ、こういう問題もあるのかぁ
という一つの知識が増えたに過ぎないと思います。
そういう知識が極端にない生徒もいるんですね。
それは母国の教育の方法にかなり左右されていると思います。
でも私たちもそんな彼らに対して笑っている場合ではないんですね。
中学校から短くても6年も勉強してるはずなのに
未だに日本人の英語能力って乏しいですよねぇ。(私も含め)
原因は文法の違いなんかもあると思いますが、新しい見解です。
日本語能力に関係している、と分析している人もいるんですよ。
つまり、正しい日本語が覚えられていない人ほど、
外国語の習得が困難っていう説です。
今崩れた日本語がメディアなどで話題になっていますけど
それと外国語習得は無関係じゃないんですね。
確かに、母語ですら理解できていないのに、
外国語なんて正確に理解できるわけありませんよね。
理屈は納得できる気がします。
世界にはいろいろな言語があって、日本のように言葉の数が多く
繊細な違いまで表現できる言語は少ないようです。
特に発展途上の国や、昔から外国からの影響を受けてきた国などは
母語とはまた別の言語(中間言語)が発達してしまうこともあるんですね。
例えば仕事相手が外国人でかなりいいお客さんだったら
どうにかして相手の言葉を覚えていい商売をしようと考えますよね。
その商売言葉がいつの間にか発達して、一つの言語として使い続ける民族もいるんですね。
(ピジンとクレオール)
突然ですけど…
虹の色って何色ですか?
最近ヨン様が宣伝してる”七色○茶”というお茶が出たように
虹は7色と答える人が多いと思います。
でもそれは日本での話しであって、国によって違うのを知っていました?
しかも!2色と答える国もあるんです。
少なすぎ!
虹自体は同じですから、どうしてそんな差があるのかと言うと
単純にその色を表す言葉が無いからなんです。
明るい、暗い、その2つしか表現できない国もあるんですね。
7色を表現する言葉を持つ日本語もあれば、
2色しか表現できない言語も確実に存在してるんですね。
そんな言語を母語として覚え、
そして日本語を覚える状況になったとしたらどうでしょうか。
言語を習得する基盤がとてもアバウトで不確か、
または、表現できる言葉の数が極端に少ない母語であったら
外国語を完全に習得するのは難しいかもしれませんね。
まずイメージが湧かないでしょうから。
同じ日本語を話す人間同士でも何かを教えあうっていうのは難しいのに
これが基盤の違う外国人に何かを教えるならなおさらだと思います。
だからみんなに同じ授業をしているのに、理解できない人が出てくるんですね。
それは、
・本人の言語的センス(全然ないなら残念!)
・母国の教育環境(努力次第)
・母語の習得度(日本人も頑張れ)
・母語(生まれながらの運命)
こういう原因も根本にある、ということを教える側が理解すると
また違ってくるかもしれませんね。
これは言語習得だけでなく、いろいろな面で言えると思います。
例えば男女の仲。
少し前に”話を聞かない男、地図が読めない女”という本がありましたが
お互いを理解できないことがでてくるのは、それもまさに
男女がお互いの基盤を同じだと思っている為に生じる問題なんですね。
人に何かを伝えるとき
自分と同じ基盤を相手も当然持っていると思っていませんか?
その考えを少し変えてみると
自分の気持ちをスムーズに伝える方法が見付かるのかもしれません。
ゆき2