2008年05月30日

チベット青蔵鉄道の旅 最終回

早朝再度頭痛と共に起床。
皆連れ立って朝日を浴びるチョモランマ並びにヒマラヤ山脈を拝みに
軽いトレッキング、というか散歩。
満月が落ち、朝日が昇るその場は静寂に包まれ良い雰囲気。
ただし、宿に戻った後もしばらくは足の痺れが取れない極寒には
正直参った。

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その後国境の町ダムに向けて今日は鼻からオフロードを突き進む。
途中ヒマラヤ山脈を眺めることの出来る、またもや5000m超えの峠。
その景色は息を飲むほど美しく広がったビューパノラマ。
山々が今こんなにも間近見える。
そこでは多くのチャリ旅人と出会った。
その中には日本人ハヤト君という青年の姿も。
顔は真っ黒、5000mの峠をチャリで越えるとは恐れ入った。
中にはヨーロピアンの女性もいたが、とても真似出来ない。。。

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その後、数時間走り、ニャラムの街へ。
そこでゲートが開くまでの間、3時間ほど町に滞在。
(現在ダム−ニャラム間の道路は工事中で、
昼間は工事を優先するため通行禁止となっている。)
そこで非常にまれな経験をする。
路地を彷徨い、ローカル色に感動していると、奥に寂れた寺を発見。
そのおくにはまるで恐山のような雰囲気の山があり、
恐る恐る近づいて行くと、チベタンのおばあさん方に
マニ車をまわして来いと言われ、寺を一周。
そして本堂の隣のおんぼろの小さな小屋に招かれた。

そこには一瞬ひいてしまうような光景があった。
20名ほどのおばあさんと2名のおじいさん、どなたかのお孫さんと
猫と僕らの旅仲間が1名。
その旅仲間も同じようにして少し前にたどりついたようだ。

そこは祈りの場、念仏と念仏のような歌を一心に唱える人々。
そこで、持っていた数珠を用い、一緒に祈らせてもらった。
席が足りなくなったのか、何故か輪の中心の席に座るように言われ、
そこで約1時間祈祷祈祷祈祷。

休憩の際にはジャガモ(ミルクティー)をこれでもかというほど
何杯も飲んだ。
もういいと言っても、おばあさん方は早くそれを飲めという。
飲むとまたひたひたに注いでまたまた飲めという。
周囲のおばあさん方は優しい目をして笑ってくれていた。

最後に、本堂の鍵を開けたからお参りしておいで、と話してくれ、
なんと本堂へ突入出来た。
雰囲気はチベットの有名な寺々と同様で、
恐縮しながらもお祈りさせてもらった。
日本でいえば、近所のお寺さんといったところだろうが、
この経験はチベットの地で最も素晴らしいものだったに違いない。

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その後はエンターテイメント性抜群の下山オフロード!
日本や先進国では考えられない危険な道を走りぬけ、国境の街ダムに到着。
しかし、最後の最後で車が詰まるというハプニング。
(道の脇にトラックが山ほど止まっており、通過できるのは
1方向のみという状態で両サイドから車が次々とやってきて
あえなくスタック。この時点で時刻は19時少し前。
そのスタックが解消されたのはおそらく23時ごろだっただろう。)

仕方なく待ちの手前で降ろしてもらい、3日間お世話になった
ドライバー・ツァパと別れ、バックパックを背負い、宿に到着。
いよいよ今日で中国とお別れ。
そして明日はネパールへ。

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チベット担当:おがん弟

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posted by 175 at 12:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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