大連探検隊と銘打って、ヤスカーを訪ねる旅に出かけました。
メンバーは去年の印度に続き、きみはる君まなもちゃん(私達って本当に仲良しなのね)、
しずちゃん。
「アカシアの大連」と小説のタイトルになる程、美しい都市で知られていますが、
アカシアは5月に咲くそうなので残念ながら今回は見る事が出来ませんでした。
後で知ったのですが質の良い蜂蜜が名産品だそうです。
今回の旅行のイベントの一つは大連で花火を上げること。
ヤスカーの友達が準備してくれた花火は、日本では見た事のない
直径10cmぐらいの筒が(しずちゃんはビール瓶程と言ってたような)
ダンボールに12本ぐらいぎっしり詰め込まれた物でした。
それを見た私達は一瞬息をのみ、こんなの上げても良いのと不安顔になりました。
中国は花火を上げる時期が決まっているらしい。
ヤスカーが言うには、多分今は駄目らしいと涼しい顔で言い、びびっている皆を見て、
なぜか嬉しそうに笑っていました。
まずヤスカーのマンションから持ち出すのが一苦労。
紙で花火とわからない様に回りを包み、重たいダンボールを引きずって、
怪しまれない様にガードマンに笑顔で挨拶して、やっとタクシーに積み込み、
まるでテロリストのようでした。
私は留守番と決めていたので
(きみはる君が私はビールを飲んで見学とありますがあれは勘違い)、
無事に皆が帰ってくるのを願うばかりでした。
皆の帰りが遅いので不安が募り、逮捕されたのではないか、警察にどうやって迎えに行こう、
などと妄想にふけっていましたが、夜中に怖かったと言いながら写真をしっかり撮り、
無事に帰ってきたので一安心。
しずちゃんが一足早く帰国、きみはる君達が北京に行き、ヤスカーは仕事、
一人になった私は旅順に行く事にしました。
旅順は清朝時代軍港として開かれ、
今でも中国の重要な軍港として一部の観光地以外は立ち入り禁止です。
日本の浜松に5年間いたと言う、中年の女性ガイドの案内で(なぜか見習いの若い女性も同乗)
大連の建物の説明を受けながら旅順に向かいました。
大連には満鉄の本社など、日本が統治していた頃の建物が多く残っていて、
今でも病院などは使用されています。
途中旅順駅を通ったが車は止められないので、車窓から見るだけ。
下車出来たのは、乃木大将とステッセル中尉が会見した、日露戦争水師営会見所旧跡。

文化大革命の時に焼き払われたので建て直したそうだが、建物の中央の大きなテーブルには、
その時に彫られたという記念の読めない漢字が書いてありました。

観光客は私一人で、やる気の無いガイドが、すぐに「興味ありますか?」と聞くので
その度に「ありません」と答えました。あると言うと土産物を進められそうだったので。
次は森林高原203高地。ここは海抜203メートルにあることからつけられそうです。
日露戦争の時、旅順が一望できる為この地の争奪戦がロシアと繰り広げられた場所です。
海上から2000人以上(4000人だったかな)の日本兵が上陸し、
崖をよじ登り戦死したそうで、頂上には立派な慰霊碑が建っています。
奪い合っただけあって見晴らしの良い素晴らしい眺めで、記念写真を撮りましょうと言われましたが、
日本兵の英霊がさ迷っているようで、とてもそんな気にはなれず気分が沈むばかり。
最後は自然博物館。ここは以前ヤスカーが不審な行動をして逮捕された所。
恐竜やアンモナイト、水晶の原石などが陳列してありました。
ここも私一人で、好みではない男性学芸員と二人きり。アンモナイトや化石好きの私ですが、
興味を引くものは見当たらず、おまけに館内は気味が悪いだけでした。
今日は特別にと、黒檀の飾り棚に飾られた、花瓶や置物を進められ、
断ると神戸の○○さんは買ったと言い放ち、置く場所が無いと言うと、
家が狭いのかと馬鹿にされ、益々気分が沈みました。
ドアの隙間から見えた奥の部屋は土産物屋のようだったので、誘いを振り払い早々に出ました。
政府の運営する建物の中でも、堂々と安物、贋物を平気で売ろうとします。
今旅順は平和公園のオープンとか大学が集まってきて、
新しい旅順に生まれ変わろうとしているそうです。
日本統治時代の建物が沢山残る大連は、懐かしくロマンチックな街です。
あまり深く日中の歴史や関わりを考えなければ、居心地の良いところです。
ヤスカーがいてくれたので、安心お任せの旅が出来ました。
一緒に行った仲間の皆さんありがとう。
今年は何処へ行こうかな。
サチコ

いなまなに放置されて一人で行かれた旅順は散々だったっぽいですね。
いい季節に大連に行ってみたくなりました。