2007年04月04日

狭山のオーストラリア人のおっさん

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狭山市の団地に住むオーストラリア人のおっさんリチャード。
えみ姉が3年前の春、飲み会に連れて来て知り合ってから3年越しの友人でした。

20年以上前にプロのトランペッターとして参加したバンドの日本ツアーで日本にはまり、
それ以来ずっと日本に住みたいと思っていて、とうとう夢かなって日本に住んでいたリチャード。

最初の1年間は、日本に1人で住んでいたので、特にこの時期は一緒によく遊びました
六本木でオールしたり、池袋の高級クラブに行ったり、上野のカプセルホテルに泊まったり。

2年目には、家族も来日して、娘のダニエルとジャスミンはすっかり日本に溶け込んだんだけど、
奥さんは、やっぱりオーストラリアが一番好きなので、2年目の終わりに
娘2人を連れてオーストラリアに戻って行きました。

この時リチャードも戻るはずだったんだけど、オーストラリアではもてないのに、
日本だと42歳でもぜんぜんもてることや、
英語しゃべればそれが仕事になるという夢のような生活から抜け出せず、
さらに1人で日本に残っていました。
※リチャードは、ディズニーのテレフォン・イングリッシュの先生とかをやってました。

3年目も終わりが近づき、さらにもう1年日本滞在を延ばそうともくろみましたが、
奥さんに離婚をチラつかされたため、日本も大好きだけど家族も大好きなリチャードは、
とうとう帰国を決意したのでした。

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<今年の2月にリチャードんちで開かれたホームパーティで、
フランスパンにチーズとかを乗せてオーブンで焼く料理を作ってくれたリチャード>


リチャードの希望で、ウェルカムパーティーと名付けられたお花見会&送別会は、
延べ30人くらいの人が来てくれました。
国籍もオーストラリア人、ドイツ人、インド人、マレーシア人、日本人がいて、
最後にBigパーティーしたいといってたリチャードもうれしそうでした。

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女好きのワルイ外人なのは間違いないんだけど、ぼくら日本人のことが大好きで、
大好きな日本人とバカ騒ぎするパーティーが大好きで、
いつもほんとに楽しんでくれてました。

みんなで飲んだ後、酔いつぶれて浜松町の道端で熟睡→警察署で一晩を明かしたり、
大江戸温泉で浴衣でオールして飲んで最後は疲れて畳の上で寝たり、
2人で牛丼食べてる写真を松屋の店員さんに撮ってもらったり、
しょうもない想い出を挙げたら切りがありません。

こんなバカなこと一緒にできる外人の友達は、もうめったに現れないだろうなあ・・・

リチャード、今夜9時発の便でオーストラリアへ飛び立ちます。
さびしくなります。

おっさんの友人の1人:175

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cf.リチャードの子育て
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<リチャードの愛娘ジャスミンが描いたリチャードの似顔絵>

リチャードは、日本語が全くしゃべれない娘2人を、
日本の普通の公立の小学校に入学させました。

だいじょぶなんかいなとぼくらは心配に思ってたりもしたんですが、
リチャード方式の子育ては大成功し、
娘2人は、1年後にはリチャードよりも上手に日本語を話せるようになり、
日本人の友達もたくさんできたそうです。

彼女たちが大きくなって、また日本に遊びに来てくれる日が楽しみです。

グッダイ、リチャード!

posted by 175 at 13:08| 東京 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | どん底 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めて会った日に終電を逃して、リチャードと2人で上野のアラビアンロックに行って、リチャードが必死に女の子口説いてたり、その後真夜中にカプセルホテルに行ってサウナで垢すり体験してたりしたことが忘れられません。
Posted by c-man at 2007年04月05日 07:11
酔いつぶれて浜松町の道端で熟睡→警察署で一晩を明かしたリチャードから、酔いつぶれて酷い二日酔いだった僕のもとに電話がかかってきて、なぜか僕が持ってたリチャードの携帯を朝早く届けに行ったことが忘れられません。
Posted by c-man at 2007年04月05日 07:11
昨夜、成田空港で、日本の生活はどうだった?って聞きました。
リチャードは、「日本にいたこの3年は、僕にとっては、人生そのものに等しかった。」と。

これほどまでに日本を好きでいてくれたのが、本当に嬉しい。
Posted by 見送り隊C at 2007年04月05日 07:41
リチャードの友達のみなさま

こんばんは。
シーマンです。

4月というのに雪が舞い降る中、ブリスベンに帰るリチャードを
見送りに、どん底代表として、まなもと2人で、成田空港に行ってきました。

出発までの小一時間ほど、成田空港第二ターミナルの3階にある
スタバで、リチャードにおごってもらったコーヒーを飲みながら、
言葉少なに、お互い日本での日々を思い返していました。
(このスタバで、お別れ直前のコーヒーを何度飲んだことでしょう。。。)

ほんとにアホなことばっかやってた、でも、いろんなことも教えてもらった、
そんな関係の大切な友達でした。


そして、いよいよ出発の時。

最後にリチャードは、日本での3年の滞在を、
「日本にいたこの3年は、僕にとっては、一生分に等しかった。」
と言って、搭乗ゲートへと消えていきました。


今頃は、暖かいブリスベンで、温かい家族と久々の再会を楽しんでいることでしょう。


「人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない。」


こんな言葉で始まる、とある小説をふと思い出しました。

いつか、どこかで再会する、その日が、楽しみです。

【リチャードからのメッセージ】
http://ameblo.jp/sekaishokudou/entry-10029930170.html
Posted by シーマン at 2007年04月05日 22:18
>「日本にいたこの3年は、僕にとっては、一生分に等しかった。」

リチャードが言うとジーンとするな。
絶対本気だもんね。

いかんいかん。
もう1日も経ったんだからリチャードのことは忘れ去らないと。
Posted by 175 at 2007年04月05日 22:29
とても感動した。
やさしい皆さんがいるから、リチャード
の日本生活がよりカラフルになったと思う。
Posted by Yen at 2007年04月06日 00:09
リチャードさん、相変わらず熱いね〜。
シーマン、リチャードさんに会いに行こうツアーはいつですか?
Posted by 美香 at 2007年04月15日 18:04
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