2月9日。
最後の授業。
私は敢えて友達の日本人を授業に来させなかった。7代目、ゆみ先生だけ授業参観に来た。
朝、今まで伸ばしつづけた髭を全て剃り、人相が変わったと言われながらバコンへと向かう。
12時からは皆の都合が合わず、1時からの生徒。そこに先生になり始めた頃の生徒が来てくれた。
彼は途中からというか始めて一週間くらいしてから病に倒れずっと来られなかった。
すごくすごく嬉しかった。
2時から。来れなかった子もかなりいたけど、
最後に僕の伝えたいことを伝えることが出来て、大満足に終了。
一人の男子生徒から言われた。
「せんせい、あなたのえがおにであえて、わたしはしあわせでした。
にほんごをおしえてくれて、ありがとうございました。」
正直、僕は前日まで泣くことは絶対に無いと思っていた。
でも、生徒の目に涙が浮かんでいるのを見て、僕も涙が頬を伝った。
2月10日。
最後のパーティー。
僕は赤色が好きだ。
早朝、5時半「赤い朝日」を拝みながらバコンに向かう。
「今日はいい日になる!」って心底から思える朝日だった。
昼間、パーティーの開始。酔っ払いのため、顔を真っ赤に染めた僕は生徒と笑い、歌い、踊った。
途中や最後でサプライズでバコンの子供達や生徒からプレゼントを頂いた。
嬉しくて、悲しくて、涙が出た。「オッ ソンハー」と言われつづけても関係ない。
全ての感情と思い出が入り混じって泣いた。泣いた。泣いた。
最後の片づけを終え、空港へ友達を見送りに行くときに夕陽を見た。
最高に真っ赤で綺麗な夕陽だった。「お疲れ様」と言ってくれていた気がした。
考えてみたら生まれて始めて自分一人で何かを成し遂げたのかも知れない。
もちろん、周りで支えてくれた人たちはたくさんいた。悩んでる時は、相談にのってくれたりした。
でも、バコンでたった一人で教え続けたこと。こういったことは始めてかも知れない。
ブランコを作ったり、500キロ以上歩いたり、誰かと一緒に同じ目標に向かって歩みつづけた。
これはもちろん、素晴らしいことだと思うし、忘れることは無い。
でも、今なら有森裕子と同じことが言えるかも知れない。
「自分で自分を誉めてやりたい」
全ては自己満足にすぎない。
でも、生まれて初めて自分で自分を認めてもいいのではないかと感じた2日間だった。
6代目:ソーイチロー
ソーイチローへ
10月からの5ヶ月間ちょっと、バコン村6代目先生の任務、本当にお疲れ様でした。
ソーイチロー本人のブログや、シェムリアップにいるみんなの日記から、
毎日楽しみながら授業をやってる様子が伝わってきました。
いろいろといいこともあったみたいだし、本当に羨ましい。
帰国まであとちょっとですね。
二度とない今の時間を、思い残すことないように有意義に使って、いっぱい話し聞かせてくださいね。
日本でソーイチローに会えるのを楽しみに待ってる友達がたくさんいます。
そして、来週からは、、、
バコン村7代目日本語教師の由美ちゃんによる「おかむー通信(仮)」始まります。
乞うご期待。
てかもう終わりかあ。
早いなあ。
行くまでは長かったのに。